暗闇を照らしてくれるあの光に、星と名付けたのは誰だろう。
母には味方がいない。
緋景斗真がそう気づいたのは、確か五歳のころだった。
父がいたころ、思い出す母の姿はいつも痛みに耐えていた。理不尽に頬を叩かれる痛み。床に散らされた料理を片付ける痛み。子供には意味も分からない罵倒を浴びせられる痛み。全て母が受け止めてくれたから、斗真は五歳まで育つことができた。
ある日、父の暴力がいつもの度を越した。夕飯の支度よりも先に、斗真の服にアイロンをかけている母を見て、働いてもいない父が激高した。
母の前に立ち、初めて父に立ち向かった日。
忘れられないのは、視界一杯に広がるアイロンの底。
劈くような母の悲鳴と、顔の半分を焼く鉄の熱。世界が焦げていく音を、斗真は聴いた。
それからは、真っ暗だった。黒焦げだったから、真っ暗だった。
寝ても、起きても晴れない闇が、斗真の少年時代を覆っていた。父の残した火傷の痕は、世界を染める消えない焦げ痕だった。
学校に行くようになった。火傷の痕は、子供たちから奇異の的にされた。火傷を隠したくて前髪を伸ばした斗真を、お調子者の男子が「お化け」と呼んだ。淡い想いを寄せていた女子がそれを聞いて笑った時、斗真の初恋は醜く萎れた。ストレスを溜めながら外出を避けた斗真は、いつの間にか随分と太っていた。
斗真がいて良い場所はどこにもなかった。だからどこに行くこともできなかった。
贅肉がつくたびに心まで歪む気がした。顔が醜い自分は命まで醜いのだと塞ぐようになった。人の声が怖かった。誰かの視線が怖かった。カーテンを閉め切ったから、斗真の世界はいつも真っ暗だった。
暗すぎたから――星が必要だった。
一瞬でも、火傷の痛みを忘れさせてくれるような。
瞼に浮かぶ嫌な記憶を塗りつぶしてくれるような、眩い光が欲しかった。
闇夜を照らすあの星は、四角い枠の向こうにあった。
中学に上がると共に、母がなけなしのお金で買ってくれた、スマートフォンの画面の中。星の放つ輝きが、暗い斗真の世界を照らしていた。
ペンライトが天の川のように、広大なアリーナを埋め尽くしていた。
万雷の拍手と歓声が、ステージに向けて響いていた。
こんなに眩しい世界がある。こんなにも、誰からも愛される存在がいる。
真っ暗だった。黒焦げだったから、ずっと真っ暗だった。だから画面越しの輝きに、闇を貫くあの星に、斗真は夢中で吸い寄せられた。
それは、アイドルという名の星だった。
熱い頬を、風が優しく撫でてくれる。
月の痩せた夜だった。少し涼んでくると葵に伝えて、斗真は一人で外に出た。シェアハウスの中からは賑やかな声が聞こえてくる。大きいのは甘太郎とロクタの声だろう。
ずっと火照っているのは、一気に押し寄せた驚きと喜びのせいだ。
1Nm8が――京たちがシェアハウスを訪れるなんて、斗真は想像もしていなかった。
〝銀世会〟などという胡散臭い団体から接触されたVISTYを案じて、ロクタとイツキが首を突っ込み、結局は京がやってきた。
それをきっかけに、京もVISTYも腹を割って話した。抱えていたしこりも随分と解消されたように思う。緊張の糸が切れたあたりでロクタのお腹が鳴り、宅配ピザを囲んでの食卓になった。それからは賑やかな時が過ぎて、今に至る。
「……ふー」
VISTYの輪の中に京がいる。今でもどこか夢見心地に思える。
不意に声が聞こえてきて、斗真は肩を震わせた。
「斗真、ここにいたんだ」
振り向けば、春の陽だまりのような色の髪が夜風に揺れていた。その一瞬は、夜の世界が真昼になったようにすら思える。忘れもしない色。
「京。……あーうん、ちょっと酔っちゃった」
「お酒は飲んでなかったよね?」
「場酔いってヤツね。アゲすぎちゃったからクールタイムってワケ。……京は、耳休ませに来たカンジ?」
「少しだけね」
自然と空を見上げていた。京も斗真の隣にきて、視線を追う。果てなく広がる宇宙の闇に、キラキラと星の輝きが散りばめられている。
目を見て話すのはくすぐったいから、斗真はそのまま口を開く。
「なんかさ、甘太郎とロクタ、ああしてると相性良いよな~。やっぱチームの末っ子キャラ同士、波長が合うみたいな?」
「……うん、良かった。夢にも見なかったよ、二人が仲良く話しているところなんて」
「葵と、イツキもね。末っ子が二人に増えたらお兄ちゃんも増えたみたいな。葵はバイクの話題で末っ子側に回っててウケたけど」
「うーん」
「どったの?」
「末っ子なのに二人って、変じゃないかな」
斗真は思わず噴き出した。京はキョトンとしている。
「どうしたの、斗真」
「いや、その天然なとこ……京は京だなあって、ちょっと嬉しくてさ」
「そうかな。天然……なのかな」
「そだよ~? 俺覚えてるもん。トーク番組でさ、『VISTYの楽曲で一番好きなのはなんですか』って聞かれた時、アルバム収録予定の未発表楽曲の話したじゃん」
「あ……あれは、だって一番好きな曲って言うから」
「や、ぶっちゃけ俺もアレが一番好きだったけど。Cメロの繋ぎ天才すぎたけど」
「そうだよね。斗真も楽しそうにレコーディングしてたし」
斗真は視線を隣に映す。丸くした目をぱちぱちと瞬かせる京は、ステージ上より幼く見える。これが京の素の顔だと斗真は知っている。
「いいの? もっとしょーちんと話さなくて」
「……憧吾とは、たくさん話したよ。全ては話しきれていないけど……一日で伝えきれるとも、受け止めきれるとも思わないから」
「だよね~。俺ら結構色々抱えちゃったもんな」
ふと見ると、京が頭を下げていて、斗真は思わず飛び上がった。
「ちょ、ちょ、何してんの京。急にそんなんされたらビビるって!」
「改めて、ごめん。僕が皆を振り回していたこと、自覚が足りなかった。皆があんなふうに思っていたなんて……」
「いやいや、そのパート済んだじゃんもー」
「でも、斗真は――」
京は長い睫毛を伏せて、紡ぐ言葉を夜風に乗せる。
「――斗真はきっと誰よりもVISTYのことを……アイドルという存在を、大切にしていた気がしたから」
「あ~……そう見えた?」
「斗真はいつも皆に気を配っていたし、斗真のラップは、すごく楽しそうだったからね」
照れ臭い。
音楽の天才。無二のカリスマである京に、自分のラップがそう聴こえていたことが。
見上げる夜空に鏡はないから、自分がどんな顔をしているか斗真はわからない。
「俺たち、多分もっと早く、腹割って話すべきだったんだろーね」
「きっと、そうだね。……ただでさえ僕は、僕が来る前のVISTYを知らないから」
「あー、京が来る前かあ……流石に懐いな」
光を反射しないはずの夜空が斗真を映す。それは実像ではなく、思い出を投影する闇のスクリーン。星を眺めるたびに浮かんでくる記憶。
「気になる? そのへんの話」
尋ねれば、京は少しためらいがちに、視線を斗真と星空に交互に動かす。
「僕が手放したもの。僕が裏切った人たちのことを……考えれば考える程、もっとちゃんと、知っておくべきだったんじゃないかって思うんだ」
「……基本的にクソ真面目なんだよなー、京も。しょーちんもだけどさ」
斗真はくすぐったそうに、照れ臭そうに笑う。
「でも、そうだよな。京はちゃんと昔のことを話してくれたもんな。ロクタとイツキのことも、本当の気持ちも……俺たちも話さなきゃズルいか」
左の目じりを右手で撫でて、斗真は高く空を仰ぐ。
「じゃ、こっからは皆にオフレコで頼むわ! ……恥ずいからさ」
少しずつ、斗真は話し始める。夜空の星を思い出の形に結んで、記憶の旅を辿りながら。
陽射しの香りの風が吹く。舗装タイルを叩くスニーカーの底が、軽く弾んで足を進める。
ハナミズキの白も、ビルの灰色も色づいて見える。ムズ痒さにも似たピリピリした感覚が、背骨から体中に広がって、勝手に頬が笑みをつくる。
初夏の週末。眩い季節。
あの頃。緋景斗真の目には、全てが輝いて見えていた。
「……よし!」
コンパクトで身だしなみを確かめて、ショルダーバッグを背負い直す。プリーツパンツも麻のカーディガンも、安いなりに季節のトレンドを押さえてある。
新しい化粧水は具合が良い。けれど肌の調子が良いのは気分のおかげかもしれない。
目的地は、もう目の前。陽光を照り返す鏡張りのビルだ。
頭文字をデザインしたロゴつきの看板を横切って、正面玄関を潜る。リノリウムの床と明るい照明。ロビーや廊下で見かける若者たちは、煌めくオーラを纏っている。
誰もが皆、星の原石として磨かれるためにここにいる。
この日から斗真も、正式にその一員となる。
「……はーっ」
幸福な溜息。感無量、という言葉の意味を、斗真はこの時に心底理解した。
まさか、自分がアイドル研究生になれるなんて。
大学に上がってから、斗真は全てが上手く回っている気がしていた。
環境の変化に合わせて、生き方を大きく変えた時期だった。地元を離れれば、誰も斗真の過去を知る者はいない。まっさらな環境にはまっさらな未来があると信じ、新しい自分を演じてみた。その試みは間違いなく報われた。
人は見た目が全て。
……言い切るほど絶望したくはないが、対人関係において絶対のカードであることを、斗真は少年時代で十二分に思い知った。文字通り、痛いほど。
アイドルを好きになってから、本気でダイエットを始めた。代謝に恵まれた年代、その気になれば体を絞るまでは早かった。
一番思い切ったのは……整形手術だ。
鏡を見るたび目に入る火傷の痕。父から与えられた体の痛み、クラスメイトから刻まれた心の痛み、その肌のように爛れた記憶を消してしまいたかった。十六の頃から始めたバイト代は、殆どそのために貯金していた。ここまで必死に育ててくれた母には、これ以上頼るわけにはいかなかった。
顔の包帯が取れた日は、どれほど鏡を見つめていたか覚えていない。
贅肉が消え、火傷が消え、知人が消え、大学生になった斗真は文字通り新しい人間になった。大学デビュー。まさか自分に友達が出来るなんて思ってもみなかった。
まして、スカウトを受けるなんて信じられなかった。
驚きすぎたから、忘れもしない。
――ねえ。君、アイドルに興味とかない?
声をかけられたのは、休日の街中だった。
最初は半信半疑、というより「なんで俺なんかが?」という戸惑いが強かった。
信じる気になったのは、スカウトした理由を聞いたときだ。
――そのビジュの良さは、替えの利かない才能だよ!
思わず笑ってしまった。そして契約書にサインする気になった。外見を理由にした言葉の真偽を、自分の顔を見る表情筋の動きを、斗真は誰より見抜けるようになっていた。
緋景斗真。
十八歳。大学生で、アイドル研究生。
嘘みたいな現実を信じさせてくれるのは、努力して手に入れた外見と、スカウトされた時のあの言葉だ。養成所の廊下を歩きながら、思い返しては噛み締めた。
「……」
コンパクトを出して、鏡を見る。
少し乱れた前髪を直し、火傷痕のあった頬を指でなぞる。指先に伝わる感触は滑らかで、そこに傷があったことなど誰も気づかない。それでも確認せずにはいられなかった。一日のうちに何度も何度も、確かめずにはいられなかった。この顔との付き合いはまだ浅い。肌のメンテは入念にやっている。ガラス細工を扱うように、大事に大事に磨いている。
気づけば扉の前にいた。
レッスンルームBと書かれた札を確認する。
プロデューサーによれば、本日は新人の顔合わせを兼ねたオリエンテーション。その後は早速、簡単なレッスンを受けることになっている。
緊張を自覚する。今日、ここで憧れのアイドルの卵たちと肩を並べるのだ。
しかし神様の気まぐれか、斗真だってここに入ることを許された。大丈夫。やれるはずだと自分に言い聞かせる。初めて大学に訪れた日のことを、今日も繰り返すだけだ。
なるべく明るく、カルいキャラで行こう。本来の自分とかけ離れていた方が、他人に合わせて調整しやすいはずだ。
三回呼吸して、斗真は扉を開ける。開口一番、挨拶する。
「おざーっす! 緋景斗真でーす、よろしくおねしゃーす!」
入り口をくぐった斗真に視線が向く。部屋の中にいたのは、たった一人だった。
――あれ? と首を捻りかけて気が付いた。そう言えば、気が逸って集合時間より随分速く来てしまった。その上で、自分より早く来た人間が一人いたわけだ。
丁寧なことに、先客は椅子から立ち上がって挨拶を返してくれた。
「おはよう」
背の高い、黒髪の少年だった。
〝モノが違う〟という直感があった。声の張り方、視線の向け方、伸びた背筋。見た目も良いが、それ以上に何か、他の研究生とは違う。画面越しに覚えのある、キラキラのオーラがある。それだけで斗真は察する。――ああ、彼がユニットの柱ってやつだ。
「大和憧吾です、よろしく」
一瞬、詰まってから斗真も返事を返す。
「うぃす、緋景斗真です! これから一緒にやってくってことで、よろしく!」
にこやかに言ってから、頭の中で相手の名前が記憶と繋がる。
「あれ? ヤマトショーゴって、もしかして子役の? なんかすげー演技で賞とってたよね。お父さんも有名な……」
「ああ……そう。俺の父は、大和匠だよ」
日本を代表する有名俳優の名前を口にする、憧吾の眉根が微かに動くのを、斗真は見逃さなかった。
「あー、あーね」
斗真は自分の上睫毛を視線でなぞる。思考を巡らせる時間は多くない。ぱん、と手を叩いてわざとらしく憧吾を指さす。
「俳優だ! あー、でもゴメ。俺あんまそっち詳しくないかな~」
「いいよ。有名って言っても、俺たちの歳が好む映画じゃないだろうし」
「ですよねー! ……てことで、あんまお父さんの話キョーミないっつーか、今日からやってくの俺らだし? 自己紹介は親抜きで行こうぜ!」
斗真は若干オーバーな所作で、握手を求める。
憧吾は一瞬、呆気に取られていた。ぽかん、としていたと言って良い。
それから、浮かべる笑みを少し幼くして、憧吾は握手に応えた。
「了解、親抜きでよろしく」
――正解だったみたいだ。
斗真は内心、ホッと胸を撫でおろしていた。顔色を伺う生き方には慣れている。
大学生とアイドル研究生、二足の草鞋を履く生活が始まった。
講義を終えて養成所に集まり、レッスンが始まるのは午後五時から。デビューを見据えたカリキュラムは中々シビアだったが、その忙しなさが斗真には楽しかった。
夢に向かって歩み出した実感が疲れを心地よくしてくれたし、ダイエットをしていたのも良かった。体が軽くなったし、運動に慣れが出来ていた。
何より、部活に打ち込むことも出来なかった斗真には、誰かと共にレッスンをこなす時間が嬉しかった。疲れ果てることが楽しくなるなんて思わなかった。そしてその時間を最も一緒に過ごしていたのが、憧吾だった。
どこか、自分は場違いな人間なのではないか――そう感じていた斗真にとって、憧吾は目の前で磨かれてゆく大粒の原石だった。たとえ自分がデビューに辿り着けなくても、憧吾がアイドルになってゆく姿を、間近で見られただけで良いと思えるほどに。
だから、プロデューサーから憧吾とユニットを組ませると告げられた時は、しばらく信じられなくて――その後は取り繕うのが難しいほど浮かれてしまった。
「まっさか俺らが組むことになるとはね~、けっこー絡んでたからかなぁ」
「本当に嬉しいよ。斗真が一緒なら、こんなに心強いことはない」
「いやいやこっちのセリフだわ。しょーちんが一緒なら人気ユニット間違いなしっしょ」
「これから来る二人も、期待の新人だって聞いてるよ」
そう、あと二人。プロデューサーによれば、新たにスカウトを受けた新人を加えての、四人組ユニットになるらしい。考えるだけで胸が躍る。
だからその日、斗真と憧吾は会議室の一つで待っていた。これから一緒にやっていく新しい星の到来を。それから予定の時間より少し早く、会議室の扉が開かれた。
「おはようございます」
扉を開けてきたのは、少女漫画の登場人物のような、線の細い美形だった。背は低いが頭身が高い。幼さを残す中性的な顔立ち。王子様、なんて単語が頭に浮かぶ。
入室してすぐ、既にメンバーが二人いることに気づくと、彼は長い睫毛をぱちぱちと上下させてから頭を下げた。
「初めまして。呉羽葵です。よろしくお願いします」
「うぃ、緋景斗真です。よろしく~!」
「大和憧吾です、よろしくね」
「え、てか若いね? もしかしてコーコーセー?」
憧吾の名前に反応される前に、斗真から話を回す。
「中学二年生です。四月に十四になったばかり」
「マジか! えー、ヤバ。そのトシでオーラ凄いんだけど。っぱ才能エグいわー!」
「うん、立ち振る舞いにも品があるよ」
憧吾も頷く。話を合わせている感じではない。そのくらい、初めて対面した呉羽葵には、憧吾とも違う独特の存在感があった。葵も悪い気はしないようで、少しはにかんだ笑顔を見せる。
「有難うございます。スカウトされてから、アイドルらしさとか自分なりに勉強して。上手に出来ているなら良いんですけど」
「出来てる出来てる。即戦力じゃん。あ、でも敬語はとってこ。これからチームだし」
「そうですか? ……いや。そう、かな」
目をぱちぱちと瞬かせ、葵は少し考えるようにしてから頷いてくれた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。改めてよろしく、二人とも」
前髪を、耳に向かって指で撫でるようにしながら葵が微笑む。
「おお~……」
「? どうかした?」
「いや、ガチで王子様感スゲーなぁ、って」
「そう!? 僕、お伽噺の王子様みたいなアイドルになりたくて」
急に小学生男子みたいな顔つきになった。しかしよく映える。仕草も、角度も、表情も。鏡を見続けてきた斗真にも、カメラを前にしてきた憧吾にも、それが資質だとよくわかる。役者歴のある憧吾のほうが、こういった雰囲気には敏感だろう。
それから数分ほど後、また扉が開いた。
遅刻したわけでもないのに、最後に来る羽目になったのは三洲寺甘太郎だった。
「えっ、あれ。僕、時間間違えた!?」
「大丈夫、まだ時間前だよ」
笑いながらフォローする葵に斗真が続く。
「そそ、だから全然オッケー。逆にここにいるのフライング野郎ばっかだから」
「そうなの!? 良かったぁ……初日からやらかしたかと思った」
甘太郎が胸を撫で下ろす。少し大げさな仕草に、他の二人が笑うのが見えた。キャラ性の賜物に違いなかった。甘太郎は童顔で小柄、仕草もどことなく幼い。斗真のパッと見では葵と同年代か、より下の学年に見える。
「三洲寺甘太郎です。絶対……絶対、ここで結果出していこうと思ってるから、よろしくお願いします!」
「おー、元気いーね。緋景斗真、シクヨロ~! で、こっちが憧吾と葵」
続けて自己紹介を交わす憧吾と葵に代わりつつ、斗真は一歩下がって、顔をそろえたメンバーを眺めてみた。
なるほど、個性豊かだ。芸能界に慣れのある憧吾を軸に、ミステリアスな王子様感のある葵、そこにあどけなさが残る甘太郎。これからユニットを組んでいくとすれば、キャラクター的にも中々バランスの取れたチームなのだろう。
「あれ? 大和憧吾って、僕知ってる! 昔映画で――」
「ああ、そうだよね。僕も気になってた」
斗真がぎりぎりで軌道修正した話題が、甘太郎から持ち上がる。聞いていた葵も流石に興味を示す。一歩引いていたから今度は止めるのが間に合わなかった。
「ああ……うん」
返事を濁す憧吾の表情は硬い。
想像はつく。斗真の記憶が正しければ、大和憧吾は多くのメディアにおいて「大和匠二世」として扱われていた。憧吾自身は、実力のある演技派の子役だったはずだが――親の七光りとしか見られない人生は、面白くもないのだろう。
初日からメンバーにギクシャクした物が残るのは、斗真も嫌だ。一度深呼吸して、喉が動くのを確かめる。コンパクトの鏡を見て、表情を作って声を上げる。
「ちょいちょいちょーい! 憧吾が気になるのも分かるけどさ。俺! 俺の名前も、なんか気づかない?」
斗真はスマホのメモアプリに自分の名前を打ち、印籠のように掲げて見せる。
「えっ?」
葵は顎に拳を当てて考える。
「何だろう。聞いたことあるような、無いような」
「あ、もしかしてインフルエンサー!? 美容系とかファッション系の!」
甘太郎の言葉に、斗真は首を振る。それからメモアプリを指さして胸を張る。
「俺……めっちゃ字画良い~!」
一瞬、しんと静まり返る。
高校の頃、クラスで人気のあった男子のギャグを真似たが――やらかしたか? と背筋が寒くなる前に、笑い声が聞こえてきた。噴き出したのは、憧吾だった。
「じ、字画って……フフッ、見て分からないだろ、それ」
――よし、ウケた。
続けて葵がくすりと笑い、甘太郎はスマホを何やら弄ってみせる。
「緋、景、斗、真……え、いや。全然字画良くないじゃん! とーま、診断サイトに入れたら総画〝凶〟だよ! 〝凶〟!」
「ウソォ! え、調べたこと無かったけど俺、凶なの?」
「当てずっぽうだったの」
葵が呆れる。甘太郎がさらに追撃してくる。
「えっと……全てが上手くいくことは非常に稀です、って書いてあるけど……」
「いや、デビュー前に幸先悪すぎ! 俺斗真じゃなくて凶真じゃん、サガる~!」
さっきより大きな笑い声が上がる。憧吾の父の話は、目論見通りに途切れた。
「おお、揃っているようだね!」
笑い声が落ち着くころ、プロデューサーがやってきて話題が打ち切られた。偶然ながら良いタイミングだ、と斗真は胸を撫でおろす。
にわかに浮足立っていたメンバーが背筋を正し、プロデューサーの話に聞き入る。今後の展望やプロデュース方針、レッスンカリキュラムについて簡単な説明を受ける。
ホワイトボードに、プロデューサーが抽象的な絵を描いて図示していく。
「というわけで、君たちはユニットであることを前提にレッスンしていく。当面は、この年末に開催される〝WINTER WINNER of SUPER NOVA〟……WWSNって呼ぶんだけど、このフェスでのデビューを目指してもらうから」
唾を呑む音が聞こえる。斗真の物か、他の誰かの物かはわからない。
なにせWWSNと言えば、中規模ながら中々の知名度を誇るフェスだ。
主催はまさにこの事務所の母体企業。新人アーティストのお披露目も多く、デビューステージから幻影ライブを披露するのが通例であるため、ここでデビューした場合は業界注目度も高くなる。同レーベル所属の著名アーティストと肩を並べられることもあり、新人にとってはスターダムの特急券と言える。
スムーズに行けば一年足らずで、斗真たちはアイドルになる。
元実力派子役の憧吾。持ち前のオーラを有する葵。無邪気さで人に愛されそうな甘太郎。
バックボーン、ビジュアル、キャラクター。
いける。このメンバーはきっと、眩い星になれる。ずっとアイドルに憧れてきた斗真には、胸躍る確信がある。
――頑張ろう。他の皆に比べれば、作ったビジュアルしかないけど。アイドルに憧れていただけの俺だけど。その分、皆を支えよう。そして絶対に、アイドルになろう。
鼓動の熱が逃げてしまわないように、斗真は胸の前で拳を握る。
「ああ、最後に」
プロデューサーがホワイトボードを消して、大きく文字を書いていく。
曲線を直線で挟むような五文字をマルで囲む。斗真たちの目線が吸い寄せられる。
「〝VISTY〟。これ、君たちのユニット名ね」
言葉の響きを、各々が囁くように復唱する。
VISTY――語源を推察するなら、たぶんVista。意味は〝景色〟や〝展望〟。
遥か未来まで続いていく、美しい情景のような。
その響きを宝物のように、斗真は胸へとしまい込んだ。
チャラ男キャラで行こう――そう決めたのは、良い方向に働いたと思う。馴れ馴れしい軽薄な人柄は、距離感を調整するのに便利だった。
コミュニケーションにおいて、このキャラ作りが特に覿面に働いたのが、甘太郎だった。
「ねーねーとーま! どうこれ? カンペキじゃない!?」
甘太郎がスマホで自撮りを見せて来る。レッスン後で程よく上気した顔、水のペットボトルに頬を寄せた構図。フォトアプリは斗真が勧めたものだが、斗真自身も最近ネットで知った。その事実はおくびにも出さない。
「おー! めっちゃイケてんじゃん。バチクソ盛れてるし」
「とーまが教えてくれたナナメ二十度最強かも! このアプリもスゴく良い!」
「でしょ~? VISTYのビューティ担当に任しとけ~?」
「いつそんな担当ができたの」
タオルで汗を拭きながら、葵が通りがかって苦笑する。
「葵おつ~。や、てかHIPHOPダンス上手くない? やってたでしょ」
「初めてだよ。帰ってもダンスバトルの動画見たり、自主練はしてるけど……それに、憧吾にはとてもかなわない」
「いやいやいや、しょーちんのキレは別格っしょ。逆になに? やってた?」
大げさに指さすと、憧吾が苦笑する。
「俺も経験はないけど、役者時代に少し殺陣やアクションの演技指導を受けたのが助けになってるのかな。強みに出来てるなら嬉しい」
汗はかいているが、斗真や甘太郎に比べて息切れがない。体力よりも、上手に体が使えているかどうか、そういう違いが憧吾の様子からわかる。
「や、エピ強すぎだって! 最強ショーゴ伝説なんだわ。っぱリーダーの風格ある~」
「そんなことないよ。パフォーマンスの技術は大事だけど、みんなみたいな個性がアイドルには必要だと思う。年齢だって斗真の方が上なんだし」
「ちょちょちょ、ほぼタメじゃん! 後輩ムーブやーめーろ。……え、でもガチで言ってるなら、やっちゃう? とーまリーダー有力説だったりする?」
「ないかも」
「ないね」
甘太郎と葵が間髪入れずに言う。
「っは~傷つく~! 俺リーダーになったら、キラキラコスメでギャル男カルテットにすんのになー! キャッチコピーは〝盛れてるくknight?〟で」
「斗真、それは俺もちょっと……」
「しょーちんまで! ちくしょー!」
勿論、憧吾にしかリーダーが務まらないのは斗真もわかっている。甘太郎も葵も斗真が本気じゃないと理解しているはずだ。憧吾が一番、経験も実力も風格もある。当人がまだ少し遠慮がちだから、こうして斗真がおどけて煽る。
誰が柱になるか、それに納得できるかはユニットにとって大事だ。斗真もネットニュースや週刊誌で、芸能界のいざこざは目にしてきた。その点、このメンバーはひとまず問題ないと思える。今のところは。
ふと見ると、葵は憧吾とダンスについて熱心に話しているらしい。
自撮りを投稿した後も、甘太郎は壁に持たれてスマホを弄っている。休憩中にはよく目にする光景だ。
――話しかけるべきだろうか。
チャラ男を演じるのは、今のところ問題なくやれている。だが斗真は明るい少年時代とは無縁だった身だ。会話が途切れるたび、勝手がわからなくなる。
今のところ、自撮りという共通話題のある甘太郎が、斗真にとっては一番打ち解けている。そろそろ会話を振ることも覚えたほうが良いかもしれない。
顔を見る限り、SNSの話題は避けた方がよさそうだ。記憶を巡らせ、斗真は昨日見た甘太郎の姿を思い出す。
「甘太郎はさ~、普段けっこー音楽とか聴くの?」
あんまり上手な切り口じゃないな、と斗真は自嘲する。甘太郎はスマホを見たままだが、会話には応えてくれた。
「うん、色々。HIPHOPが多いかな」
「へー! 俺もHIPHOP好き。レッスン前に聴いてたのもそう? ほら、イヤホンで」
「あ~……」
甘太郎は少しはにかんで、目を逸らす。
「そうなんだけど……あれはトラックだけっていうか。趣味で、自分で作ったやつ」
「自作!? 甘太郎作曲できんの?」
「えへへ。結構カンタンなんだよ。スマホのDTMアプリだし。……聴く?」
「良いの? え、聴きたい聴きたい!」
借りたワイヤレスイヤホンをつけると、甘太郎が少し照れ臭そうに、アプリで曲を再生する。
イントロは柔らかなストリングスの旋律。手拍子に似て響く四つ打ちのスネア。それにゆったりとしたエレクトリックピアノ。楽し気だけど、優しい音色。聴く人を明るく元気づけるような、そんな音楽。聞き入って、斗真は思わず目を見開く。
「え、すごっ! これホントに甘太郎が作ったの!? トラックメイカーじゃん!」
「だからカンタンだってば! 斗真だってアプリ入れればすぐ作れるよ、そんな大したヤツじゃないもん。……結局あんまりインプレ稼げなかったし」
「いや……誰にでもは無理だよ。凄い。……ほんと、凄いよ」
「な、なんだよ。急にマジメに褒めないでっ! ていうかナイショだよ? 最近はSNSにもアップしてないし、とーまだから教えてあげたんだから」
照れと、斗真の雰囲気の変化に居たたまれず、甘太郎は話題を変えようとする。
「……は、話は変わるんだけどさ。とーま。Aテレビの〝Music lilac〟って見てる?」
「え、全然見るけど。チルタイムに見るタイムだけど」
「あのさ、これ見てよ」
甘太郎がスマホの画面を見せてくる。SNSの画面。結局話題はここに帰ってきてしまった。画面の中ではアイコンのないアカウントが、えらく長文を呟いている。斗真は一瞬目を見開き、すぐおどけてみる。
「なにこれ。友達?」
「違うよ! これ、十年前に起こったスキャンダルの話してる」
「マジで。十年前とか俺らヨチヨチ歩いてた頃じゃん」
「ヨチヨチって……あのさ、このスキャンダル起こしたの、僕たちの事務所の元アイドルなんだけど……この一件以来、Aテレビがこの事務所のアイドル使わないって、ホントなのかな。〝Music lilac〟でここのアイドル見た事ないよね」
やけに深刻めいて、甘太郎が眉を寄せる。
斗真はまず笑い飛ばそうとして、その眉間のシワの深さを見て、一呼吸置く。
「え~、どーだろ。でもまずあの番組、アイドルの扱い塩じゃない? てかシンプルに歌番少ない局だし、フツーに偶然?」
「でもさ、SNSじゃそういう意見多いじゃん。ソースも色々あるし。例のアイドルが当時、〝Music lilac〟の司会を本気で怒らせたって……」
斗真の記憶にも、うっすらとそういう噂はある。だが実際のところ、裏付けとなるソースは無いはずだ。件の司会者もコメントでは否定していた覚えがある。
「ね、とーま。この事務所って、アイドルするのに不利じゃないのかな。他に行くとこなんてないけど……僕たち、ここからデビューして本当に大丈夫かな」
使える時間は多くない。斗真は思考を巡らせる。
「あー、どーだろ……でもダイジョブくない? 俺ら最強だし。てかビジュ最強だし。ビジュ良いからテレビ放っとかんし?」
「……もー、なんだよそれー!」
斗真が笑うと、甘太郎も思わず笑う。少し安心したようだ。
間違いなく考えすぎだ。Aテレビはこの事務所のタレントとタイアップでドラマも作っている。だが否定の言葉を並べるだけでは、甘太郎が頑なになると思った。
数日で段々分かってきた。甘太郎には、強迫観念に近いSNS依存がある。どうもこの養成所に来る前、他のアイドル養成所で何かあったらしいのだが――。
ともかく、咎めて治るものでもないらしい。斗真は映える自撮りの方法や流行のコスメ、ファッションの話題を振り、なるべくポジティブに付き合うことにしている。
こういう時は、また話題を変えてしまうのが良い。それもワザとらしくないよう、必要性の高い話題。他の真面目な用事に意識を向けさせることにする。
「そういえば甘太郎さ、憧吾のこと……つか憧吾のお父さんの話なんだけど……」
「あ……うん」
甘太郎の眉が八の字を描く。
それだけで、斗真はこの話を長くする必要はないことを悟る。
「しょーご、たぶんあんまり触れられたくないんだよね、そこ」
「あ、やっぱし?」
釘を刺した形にならないよう、斗真は言葉を選ぶ。
「実はさ~、薄々そんな気してたんだわ。てか鋭いじゃん甘太郎。っぱ情報通だわ」
「しょーご、結構わかりやすいもん。演技しないんだ、ああいうとき。……でも大丈夫かな、しょーご。そういうの抱えたままで」
「ん、何が?」
「実用テスト。もうすぐでしょ? メタルの……アレって本格的なのは、トラップ反応っていう副作用も凄いって。トラウマがフラバするんだって。しょーご、もしお父さんのことを凄く気にしてるんだったら……」
「あー、あーね」
流石に良く知っている。トラップ反応で苦しむ人間の病んだ叫びが、SNSの裏垢や捨て垢で垂れ流されていることも珍しくない。
斗真たちはスカウトの際、簡単にテストを受けていて、メタルへの適正は検査済みだ。だが本格的にメタルを使用した経験は、まだない。
「二組ずつ……明日はまず、とーまと葵じゃん。大丈夫?」
SNS依存以外にも、分かったことがもうひとつ。
甘太郎は湧いて来た不安を、かなりハッキリと口にする。
ユニットの一員として考えると、実は良い役かもしれない。共通の不安。問題を言語化し、具体的にする。なかなか大事なことだと思う。
だから斗真は、甘太郎の投げたボールをしっかりと打ち返す役に回る。
吐露された不安を笑い飛ばす。少年時代の斗真が、誰かにしてほしかったことだ。
「とりま俺はヘーキっしょ。新成分多めのデパコスでも肌負けたことないし?」
「根拠うすーい!」
斗真が笑って言う。甘太郎も笑う。どうせ、平気だと思う以外に選択肢はない。
ファントメタル。幻影ライブには欠かせないキーアイテム。
HIPHOPが音楽シーンから切り離せないほど浸透した現代、幻影ライブも避けては通れないパフォーマンス形式になっている。このムーヴメントと合流した現代アイドルもまた、幻影ライブを取り入れる傾向にある。アーティストの内面と100%シンクロした演出効果は、スクリーンやプロジェクションマッピングでは表現しきれない。
斗真はアイドル路線の幻影ライブが好きだ。
煌く星たちの内面を形にした、光の源を浴びるようなステージが好きだ。
バチバチにポリシーをぶつけてくるようなステージも凄いと思うが、ただ寄り添い、楽しませ、明るく照らすような幻影を必要とする人は大勢いる。
だから斗真も幻影ライブに挑む。ファントメタルを使う。
大丈夫なはずだ。トラウマなんて、フラッシュバックなんて、生きているだけで数え切れないほど襲われてきた。
斗真には心が弱い自覚がある。だから、斗真が耐えられるならきっと、他のメンバーも心配ない。だって皆はレッスンの間だってキラキラに輝く、星の原石たちなのだから。
その時までは、そう思っていた。
呆気なく、ぐちゃぐちゃになった。
汗が止まらない。毛穴が開いているのがわかる。口元を押さえた自分の手が、指先までぶくぶくに膨らんでいる気がして、気持ちが悪い。
「ううっ……うっ、うっ」
気持ち悪い。気持ち悪い。斗真は掻くように自分の顔を撫でる。掌に感じる肌の感触が滑らかではない。微かな摩擦さえ、爛れているように感じられる。
「違うっ……違う、違う。俺の顔は……もう、違うっ……」
ファントメタルの実用テストは、養成所奥の一室で行われた。
初めて体験するファントメタルの幻影は、思い描いていた以上に迫力があって。
初めて体験するトラップ反応は、想像以上の地獄を見せた。
整形手術に踏み切ってなお、それが十分なのか、今の自分の顔はどこかおかしくないか、内心ではずっと自信がなかった。
トラップ反応はその不安を何倍にも膨らませ、幻影の迫力を伴って襲い掛かる。
「うっ……うっ……ぷ」
どうにか嗚咽を押し込めようとする。涙は止まらない。
きつく瞼を閉じて、時間が過ぎるのを期待する。だが悪夢は瞼の裏にまで滑り込んでくる。チカチカと瞼に残った光が、蠢いて人の顔を象る。父の顔が映る。怒りの形相でアイロンを近づけて来る。首を振って視界をシェイクすれば、光は形を変えて幾人もの子供の姿になる。子供たちが、斗真を指さしてゲラゲラと嗤っている。
頭がピリピリする。呼吸が浅くなる。肌の下で細かい異物が蠢くような、神経痛めいた違和感。顔を撫でると、皮がべろりと剥がれていく気がする。そんなはずないと何度も何度も顔に触れ、形を確かめるように自分の顔を掻く。引っ掻いた痛みが熱を持って、アイロンの感触を思い出す。火傷なんて、もう無いはずなのに。
「やだ……やだよ、肌ざらざらする……俺の顔っ、俺の……!」
懐からコンパクトを出そうとして、踏みとどまった。頭の中の冷静な部分が、今、鏡を見たら歯止めが利かなくなると言っている。
地獄だ。幻影ラッパーが、皆こんな苦しみと戦っていたなんて――。
ふと気がついて、斗真は顔を上げる。
テストを受けたのは、一人ではなかったはずだ。
「……葵?」
部屋の隅。壁にもたれるようにして蹲る、葵の姿があった。
声は聞こえてこない。だが、尋常ではなかった。肩越しに見える顔色が真っ青になっている。胸を畳むように丸めた背中が、時折痙攣しているように見える。
「葵ッ!」
よろけながら葵に寄り、肩に手をかける。体の動きだけで払いのけられた。振り返って見えた顔は、涙でぐずぐずになっている。
カチカチと歯を鳴らしながら、唇の隙間から悲鳴の代わりに、葵の後悔が聞こえてくる。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。生まれてごめんなさい。母さんじゃない、僕が悪いんだ……ごめんなさい。ごめんなさい。ちゃんと生まれてこれなくて……っ」
葵の体が、どんどん小さくなる。自分の体をどこまでも折り畳んで、命になる前に戻ろうとしているように。見開かれた眼は、幻と向き合っているのだろう。ひゅ、ひゅ、と断続的に聞こえる風の音は、呼吸が上手くいっていない表れだ。
――不味いんじゃないか、これ。
危機感が斗真を襲う。トラウマの与えるストレスは、葵の体にまで影響しているように見える。次第に腹部を押さえながら、葵の声が小さくなっていく。
頭の片隅から記憶を探る。トラップ反応はトラウマが発露する関係上、プライバシーの保護の観点からも、アーティストが自力で乗り越えることが望ましい。だから、ここに養成所のスタッフはいない。
だが、もしどうしてもトラップ反応に自力で耐えられない時は、備え付けのインターホンで助けを求めるように――そう言われていた。
「医務室、いや、救急車呼ぼう。スタッフの人呼んで――」
「やめてッ!」
葵が叫ぶ。強烈な拒絶が籠っていた。驚いて、斗真は動きを止める。
「……嫌だ。それだけは……絶対、嫌だ」
殻を閉じるように、葵は自分の服を掻きむしりながら引っ張って、体を隠す。
驚きの波が引くにつれ、斗真の脳裏によぎるものがあった。事務所との契約時に目を通した、ファントメタル使用に関する免責事項。幻影ライブへの興味から、よく読みこんだから思い出せる。
トラップ反応に伴う心身の負担について語られた項目に、バイオリズムが強く影響するケースの説明が、いくつかあった。
華奢な肩。透明感のある声。葵の持つ幾つかのピースが、斗真の頭の中でハマる。
もしかしたら――思い至って、少し頭の中で転がして、意味がない事に気づく。葵の苦痛の原因に思い至れたとして、取り除けないなら何の意味もない。
ただ一つ確かなのは、葵は医師を望んでいないということ。
だからって、放っておくわけにもいかない。葵の状態は明らかに危険だ。なんとかトラップ反応を振り払わなくては、きっと体が持たない。
自分しかいない。強烈な焦燥が襲い掛かる。
急いで、考えて、考えて――斗真は微かに、自分の苦痛が和らいでいることに気が付いた。葵のことを心配しているうちに、トラウマに対して気が紛れていた。
だったら――。
一瞬、躊躇する。けれど、他に思いつかなかった。支えになるような頼りがいも、葵の訴えを無視して助けを呼ぶ勇気も、斗真にはなかった。
懐から、普段使いのコンパクトを取り出した。
大丈夫。これからすることに勇気は要らないし、考える必要もない。斗真はただ、自分の弱さに身を委ねるだけ。そう自分に言い聞かせる。
コンパクトの鏡を覗き込む。自分の顔を凝視する。
たちまち、肌が粟立っていく。幻影に侵された鏡像は、醜く爛れて目に映った。
「ぐっ……ううううううぅっ」
斗真の様子が変わったことに、今度は葵が気づく。
「斗真……?」
顔を上げた葵が見たのは、顔を掻きむしる斗真の姿だった。整えた爪が皮膚を傷つけ、ミミズ腫れになる。斗真は構わず、己の頬を掴んで肉ごとつねり上げる。
葵が血相を変えて、それを止めに入る。
「な、にを……何をやってるんだ斗真! ダメだ、そんなことしちゃ!」
「だって、だって! 俺の顔……こんなの、俺の顔じゃないっ」
斗真は我慢せず、胸中を吐き出していく。衝動に身を任せるだけだ。
「俺じゃない! こんなっ、こんな顔っ! あ、あんなことさえなきゃ……俺の顔、こんなにっ……! おねがい、嗤うな……嗤わないで……!」
今度は、葵が思考を取り戻す番だった。
トラップ反応の見せるトラウマは、たった今、葵も身をもって体験した通りだ。
葵は、深く大きく呼吸することを思い出した。縮めていた胸を張る。息を吸って、肺を満たす。長く息を吐いて、不快感を追い出していく。
それだけで、全て平気になるわけじゃない。
けれど、目の前に苦しむ斗真がいる。心が傷つき、震えている人がいる。
そんな相手を前にして、自分がどういう存在でありたかったか。泣き声を聞いたから、葵は思い出すことができた。
「……斗真」
自分も涙でぐずぐずのまま、それでも葵は斗真に手を伸ばすことができた。涙と傷で痛む斗真の頬に触れ、顔を上げさせる。もう片方の手はコンパクトをそっと閉じた。
「……大丈夫。そんな……歪んだ鏡なんか、見なくっていい」
そして葵は、笑顔を作ることができた。
「君の綺麗な本当の姿は、僕の瞳に映ってる」
王子様ならこんなとき、そう言って涙を拭くはずだから。
理想を重ねた現実の、自分の言葉を耳にしたとき。
幻影の呼び声は、葵の耳から遠ざかっていった。
思考がまとまり始めて、斗真は試みが成功したのだと気づいた。
完全に落ち着くまでは、それから十数分を要した。それでも、葵も斗真もどうにかトラウマを振り払うことができた。
まずは涙を拭いた。それから脱水症状を起こさぬよう、水分をしっかり補給した。泣き腫らした顔はメイクも崩れ、斗真も葵も酷いものだった。
落ち着いて、少しの間は無言が続いて、葵のほうから口を開いた。
「ねえ、斗真」
「なに?」
「君、わざと自分を追い詰めて、僕に〝王子様〟をやらせたんだね」
「……あー」
斗真は一口、ペットボトルの水を飲み込む。泣き疲れて枯れた喉によく染みる。
「やらせたっていうか……フツーに葵は王子様っぽいから? ワンチャン助けてくれるかなって思ったけど、うん」
葵は親指で、目じりを拭う。
「ありがとう。おかげで僕は、なりたい自分を見つけられた」
「や、ありがとはこっちでしょ……ずっと背中摩ってもらったんじゃん?」
「だんだん分かってきた。斗真がチャラいのは照れ隠しだよね」
図星を突かれて、斗真は二の句を継げなくなった。
そんな斗真を見て、葵はくすりと笑って話す。
「……でも、そういう役もほどほどにね」
「ああ、うん。そういう役? そういう役ね。VISTYのビューティ担当っていう」
「そんな担当いつ決めたの」
互いの拳をどちらともなくぶつけて、笑った。
部屋に響く笑い声は、あの頃教室で聞いたものとはまるで違っていた。
雨と共に日々が流れ、夏が来た。
夏休みは可能な限り養成所に通い、みっちりとレッスンを受けた。エアコンの利いたレッスンルームでも、ライトの明りを真夏の日差しと見紛う。灼熱の季節が過ぎて行った。
毎日毎日、流れる汗に努力の実感があった。
一日一日、細胞が〝アイドル〟に入れ替わっていく気がした。
充実していた。それでも焦りが募るのは、斗真たちが目標としているライブイベント。〝WINTER WINNER of SUPER NOVA〟――WWSNの実態が明らかになってきたからだろう。
焙られた風が日没後も火照る、ある日。
居残っての自主練を終えてレッスンルームを出た斗真を、憧吾が出迎えた。
「お疲れ、斗真」
「あれ、しょーちん。どーしたの、待っててくれた?」
「俺は防音室で自主練やってたんだ。ラップって思った以上に難しいよ」
「あーね。いや、実際付け焼き刃だもんなー俺ら」
駄弁りながら歩く。通路の行き止まりにある自販機には、スポドリやミネラルウォーターが多い。憧吾は端の方にあるクリームメロンソーダを買ってから、斗真に振り向く。
「斗真は何にする?」
「え? や、いーよ奢りとか」
「ついでだよ。電子マネーのポイント溜まってるんだけど、使える自販機少ないんだ」
「ああ、じゃあお茶ゴチになりまーす」
飲み物を買い、壁にもたれて、それぞれペットボトルの蓋を開ける。
喉を鳴らしてメロンソーダを飲む憧吾を、斗真はちらりと見やる。
「グミ切れてんの?」
「え?」
尋ねると、憧吾が首をかしげるので斗真が続ける。きょとんとした時、憧吾の顔立ちが幼く見える時がある。
「や、いつも疲れた時は甘いの食ってんじゃん? 代わりに甘いの飲んでんのかなって」
「……ほんと、よく見てるよな。斗真」
笑う憧吾の表情は、作ったものではないと斗真は感じた。
憧吾とは特に、自然と距離感を詰められている気がした。歳が近いことや、根の真面目さもあって、相性が良かったのだろう。
大学デビューのおかげで、斗真は友達が作れた。けれど本当に自然と出来る友達というのは、こんな緩やかでさりげない物かもしれないと思った。
「昨日は養成所、閉まってただろ。斗真って休日は何してるんだ?」
不意に憧吾が尋ねてきて、斗真は若干言葉を選ぶ。
「えー、コスメショップ巡り。あとメイク動画見たり?」
「コスメ以外は、何も?」
他にチャラ男らしい趣味が思いつかない。まるっきりの嘘をつくのも後々首を締めそうだし、何より、こういうオフの時間に憧吾との会話を嘘で固めたくはなかった。
「んー……プラモ作ったりとか」
「へえ、器用だもんな斗真……塗装とか、コスメに通じそうだし」
「そそそ。実はさ、プラモの塗装って殆どネイルと感覚一緒。磨いて下地作って色乗せて、慎重に乾かしてさ。トップコートがムラなく乗ったときブチ上がるんだわ」
「俺も昔、少しだけ作ったな。アニメの主人公ロボでさ……説明書通りに組んだだけだけど、凄く格好良かった」
「良いじゃん。今は流石に作んない感じ?」
「うん。親父が……禁止されたわけじゃないんだけどな。見るからに、アニメなんて下らないって顔で見てきて。それ以来、なんとなく」
「あー、なんだろね。そういうの、人の好きなモンは好きで良いじゃん。なんか父親ってさ、どっか息子のこと自分の物だと思ってて、思い通りにいかないとイヤなのかな」
「斗真もそう思ったことあるのか? 親父さんに」
「あるよ。スゲーある」
「そっか」
憧吾の視線が、向かいの壁に投げられる。斗真も憧吾の顔は見なかった。ただ、なんとなく視線を同じ方向に向けた。
壁にはホワイトボードの掲示板。WWSNに向けて、内部向けの広告が掲示されている。
養成所には、斗真たち以外にも同期の研究生たちがいて、いくつかのユニットに分かれて皆がWWSNでのデビューを目指している。
当日はスポンサーや業界のお偉方が参加し、同時期にデビューする新人たちのパフォーマンスや、観客の反応を見て内々に評価付けをする。このイベントでの出来次第で、今後受けられるプロデュースの熱量が決まるという話だ。
すなわち、このイベントは同期アイドルの卵たちを選別する〝ふるい〟でもある。
勿論、そうプロデューサーに説明されたわけではない。
だが養成所内には、既にそういう噂が流布していた。トレーナーやプロデューサーからも強い否定はなく、ほぼ暗黙の了解とみて間違いない。この噂が広まるにつれ、養成所内には日々ピリピリとした緊張感が満ちつつある。
頭が痛いのは、そのせいで研究生同士の軋轢が増えつつあることだ。
「よう、お疲れ」
ねっとりとしたイントネーションで、声が聞こえてきた。
視線を向ければ、今はあまり見たくない顔があった。黒を基調としたダンスウェアと編み込んだ髪。眼力の強い目元。頬のこけたストイックなビジュアル。
親しみよりも牙を剝くように見える笑みは、斗真が本能的に忌避するタイプ。それでも憧吾より先に、斗真から挨拶を返した。
「……タカヤじゃん、お疲れ~」
斗真たちに比べ、よりHIPHOP色の強いチームに所属するタカヤは、養成所内でも特にハングリーな研究生として知られている。以前、斗真は彼のダンスレッスンを見たことがあるが、カミソリが真空で踊っているような鋭さに舌を巻いた。
バックボーンは詳しくないが、苦労してきたのだという。既に実力派なのに、毎日滝のような汗を流してパフォーマンスを磨く様を、斗真は見てきた。
だが、ハングリーな姿勢が悪い表れ方をしていた。
WWSN参加を意識し始め、ヒリつき出した養成所の空気を受けて、タカヤは日に日に攻撃的な言動が増えていた。
タカヤは自前の水筒を揺らしながら、わざわざ憧吾の方に寄ってくる。
「ハッ、憧吾。随分可愛いもん飲んでんだ。羨ましいわ~。俺そういう糖質まみれのモン、避けてっからさ。体引き締めとかないとキレあるパフォーマンスできねーもん」
トゲのある言い方に、斗真は割込みを試みる。
「そうそう、可愛いよね~クリメロ。クリームメロンね。新パッケ映えるからさ、流行ってんじゃん。アイドルってこういうトレンドも――」
「いや話しかけてねえから。つか誰お前」
それ以上、斗真は言葉を継げなくなった。タカヤの敵意ある物言いは、高校以前に斗真を虐めてきたクラスメイトを思い出す。委縮するには十分な圧力がある。
今度は逆に憧吾が斗真を庇い、前に出る。
「タカヤ、やめろ。喧嘩は俺に売りに来たんだろ」
「ハハッ、人聞きわりぃな~。喧嘩なんか売ってねえよ? 軽口じゃんこんなん。やっぱパパに守られてきた奴ってデリケートだわ」
憧吾の言葉が詰まった。タカヤは止まらない。
「聞いたぜ~? お前らのトラック、〝Shake.〟が担当するんだって?」
「……そうらしいな」
憧吾が警戒気味に頷く。Shake.は幾つものアーティストを手掛けてきたヒットメーカーで、一般層への知名度も高い。相当のビッグネームである彼からの楽曲提供には、VISTYの面々も驚いた。タカヤはそれを明らかに、悪意的に受け取って話す。
「いやいやいや、ありえんだろフツー。デビューからShake.担当ってよっぽど肝入りのヤツじゃん? 良いよなあ、もう勝ち確?」
「曲に胡坐をかく気は無いよ。パフォーマンスで魅せてこそアイドルだろ」
「冗談キツいっす憧吾センセ。役者テキトーに切り上げてここ来たヤツが、数か月ダンスやってパフォーマンス? 流石にスベってんだろ」
「……どうかな。俺たちが流してる汗は少なくない。どんなに昔から経験があったって、結果が出るのはステージだよ」
タカヤのあからさまな棘に、憧吾は怯まず言い返す。
だが、それもここまでだった。いつ〝そのカード〟が切られるか、斗真はずっと不安だった。そして案の定、タカヤは容赦なく最も残酷なカードを切ってきた。
「っぱ大物俳優の子はちげーわ。コネが」
憧吾の呼吸が、一瞬止まる。
「……っ、親父は、関係ないだろ」
「ないわけねーだろバカ。お前らみたいなペラペラの寄せ集めが、大御所作曲家の名前掲げてデビューだ? これがコネや贔屓じゃなくてなんだって?」
「……事務所が有望なユニットに期待をかけて、何が悪いんだ」
「テメー言ったよな。親父は関係ないって。腹立つんだよそのボンボン仕草。そんだけ目をかけられる理由が、大和匠の息子だからって以外にあんのか?」
「だ、だから……俺たちの実力で」
憧吾の顔が、唇まで青くなっている。
これ以上は不味い。斗真は無理にでも割り込むことにする。声の震えを締め付けるように、下腹に力を籠める。
「はい、はいはい! そこまで! あのさタカヤ、バチバチも良いけど流石に――」
「親の金でメシ食えんなら、無駄に頑張ってるフリすんなよ。七光り」
「――」
血が煮え立つような熱が、斗真の頭に満ちた。
思考がまとまる前に拳を振り上げていた。母を庇って父の前に出た時以来の感覚だった。
幸い、その拳が振り下ろされることはなかった。
憧吾がタカヤとの間に入って、斗真の体を抱くように押さえていた。
憧吾越しに、タカヤが鼻を鳴らす顔が見えた。
「七光りはケンカする度胸もねえか。つまんな」
タカヤが廊下の向こうに歩いていく。斗真の足は勝手に後を追おうとしたが、もたれてくる憧吾の重みがそれを止めた。
「……うっ」
「憧吾? ……憧吾!」
胸の中で呻く憧吾の声が聞こえて、斗真の頭は怒りを追い出していった。
水の流れる音が、ずっとトイレに響いている。
手洗い場のシンクに突っ伏した憧吾が、何度も口をゆすいでいる。
「うっ……おぇっ……」
メタルの実用試験の時も、嘔吐が止まらなかったと甘太郎から聞いている。甘い物を好むあたりからも考えるに、憧吾のストレスは消化器に現れやすいらしい。
「……大丈夫? 憧吾」
手早くシャツを着替えた斗真が、憧吾の背中をさする。内側から何かが暴れているように、なんども背中が跳ねる。もう胃の中に吐くものは無いのに、形のない何かを――もしかしたら父の血を追い出さんとするように。
「っぐ……親父……親父だ……またっ、俺……。役者もやめたのにっ、また……」
「……うん、うん」
斗真はずっと、憧吾の跳ねる背中をさすっていた。ここにいる、と伝えるように。掌から他人の温もりを伝える。される側がどれほど安心するかは、トラップ反応に苦しんだ時に、葵への感謝と共に実感している。
「……俺、ダメっ、なのかな……やっぱり、俺なんか……うっ……親父の子じゃないタダの俺なんか、価値ないのかな……」
「ダメじゃないよ」
優しく寄り添って。自分を否定する言葉だけは否定して。
「憧吾はダメじゃない。いつも頑張ってんのは、憧吾自身じゃん。こうやって、キツいことあっても絶対レッスン休まない。自主練だってする。……俺は見てたよ、ずっと」
「……っ」
「憧吾はいくらキツくても絶対折れないだろ。それって、憧吾自身のスゴさだし……」
憧吾の背を撫でる、手の動きが緩慢になっていく。
思考にリソースを割いているせいだ。難しいことを考えているわけではなくて、これから紡ぐ言葉の気恥ずかしさを、斗真は覚悟する。
「俺さ? 街でスカウトされて、ノリでアイドル目指したって言ってるけど……本当は憧れてた。アイドル」
「……」
「俺、子供の頃は暗い性格で……だから、アイドルってすげー眩しく見えた。画面越しでも、世界を明るく照らしてくれる、星みたいに見えた」
「……っ」
口を押えながら、憧吾が小さく頷く。
「だからさ、ここの研究生になったとき、実は最初からテンションブチ上がってて。でも、不安じゃん? そりゃ憧れてたけど、自分がアイドルになれる器かって言うと、現実感なくてさ。だから――」
斗真は一度、息を吸って、吐く。
「――最初に憧吾を見たとき、思ったんだよね。ああ、こいつは〝星〟になるって」
「……俺が?」
「うん。最初に見たときの憧吾、名前なんか聞く前からキラッキラに煌いて見えた。『ああ、俺が憧れたアイドルたちと同じ、眩しい星だ』って……そう思ったんだよ、俺」
本音で語る。遅れて気恥ずかしさがやってくる。
言葉を切る合図のように、斗真はポン、と憧吾の背を軽くたたく。
「だから大丈夫。実はめっちゃアイドルオタクの俺が、憧吾は輝いてる! って思ったんだから。あんな奴の言葉より、俺のほうを信じてよ」
「斗真……」
もう一度、発作のように襲ってくる吐き気を呑み込んで、憧吾は水で口をゆすぐ。
それから両手で顔を洗って、濡れた手で前髪をかき上げ撫でつけた。
水の冷たさが、いくらか気分をリセットする。
「斗真、さっき……ありがとな。怒ってくれて」
「え? あ、むしろ止めてくれてサンキュ? っぶなかったわ~。暴力沙汰とかヤバすぎるし、そもそも俺喧嘩とか経験ないもん」
「ああ、暴力でやり返すんじゃダメだ」
振り返った憧吾は、まだ顔が青い。吐き気も収まりきってはいないのだろう。
それでも、込み上げてくる熱い何かが、引いた血の気を戻していく。
「俺たちはアイドルだ。勝負なら、ステージの出来で決めてやる」
「そーこなくっちゃ、リーダー」
「今までは正直迷ってた、本当に俺がリーダーで良いのか。でも、斗真が俺のことをアイドルだって……信じてくれるなら、これからは覚悟を決めるよ」
突き出した拳をぶつけあう。憧吾の声が力強くなる。
「俺が必ず、VISTYを引っ張っていく。星のように輝ける場所まで」
「……うん!」
斗真は思う。やはり大和憧吾こそがVISTYの要。本物の輝きを持つアイドルだ。
憧吾さえいれば、VISTYは何処までだって行ける。
そう思っていた。その頃は、本当に。
タカヤとの一件が灯した熱は、夏を過ぎてなおVISTYを焙っていた。
歌もダンスも、憧吾のパフォーマンスには一層のキレが宿り、憧吾を中心に引っ張られてVISTY全体の熱も増していく。
斗真の目から見て、VISTYが一皮剥けたのはこの頃だった。デビューを目指して浮足立ったままの道筋に、一本芯が通った感覚があった。
けれど運命の女神は、人の熱意など構いはしない。
業界をざわつかせるスキャンダルが舞い込んだのは、木々が紅く色づき始めるころ。秋空に暗雲が立ち込める日だった。
「……ねえ、ねえ! これ、どうしよう!」
レッスンの合間。
血相を変えた甘太郎のスマホには、センセーショナルな文字が躍っていた。
――人気作曲家Shake.、酒酔い運転により現行犯逮捕。
「……憧吾、どうだった?」
VISTYの面々が集まった一室は、張り詰めた空気に満ちていた。
出迎えた葵の問いかけに、事務室から帰ってきた憧吾が首を振る。
「後日、改めてプロデューサーから説明があるらしい。……だけど直ぐにでもトラックを用意する目途が立たなきゃ、十中八九、WWSNの参加は見送ることになる」
「そんな……」
普段は抑え役に回る葵も、この時ばかりはショックを隠せなかった。甘太郎も取り乱し、声を上ずらせている。
「じゃあ、僕たちのデビューどうなるの……?」
「……来年以降にデビューの機会を設けるって」
「そんなのダメだよ!」
甘太郎が声を上げる。
「WWSNってネットでも知名度高いし、この事務所のアイドルはWWSN参加者ばかりプッシュするじゃん! その看板がなくなったら、僕たち価値下がっちゃうんだよ!」
甘太郎の言葉はメンバーの不安を煽る。だが事実だ。誰もが内心では分かっている不安を明確にしてくれている。
WWSNへの参加を見逃すなら、きっとデビューステージは小規模なものになる。
幻影ライブのムーブメントが日々加熱する昨今、派手な演出の需要は右肩上がり。
アイドルのようなポップアーティストにとって、デビューから大きなステージが使えるかどうかは死活問題になりつつある。その重要性は、研究生として業界のことを学ぶにつれ身に染みた。
だが、不安ばかり煽っても取り返しがつかない。まくしたてる甘太郎を押さえるように、斗真が前にでる。
「えーっとさ、でもワンチャン代わりのトラックメイカー見つかったり? 別にShake.に拘ることないじゃん。これから別の人に頼んで貰ってさ」
「調整がつかないそうだ。冬にかけては作曲家も忙しいし、事務所が懇意にしている人材は他のユニットの仕事をしてる」
「で、でもさ。誰か一人くらい……」
「発注が決まるまでにかかる時間、それからトラックメイキングにかかる時間……専用のリリックや振り付け、パフォーマンスもこれから用意するんだ。WWSNに間に合わせるとして、今からだと相当迅速に進めなきゃならない。正直、現実的じゃないと言われたよ」
膝から力が抜けて行くのが、斗真は自分でわかった。
甘太郎は泣きそうになっている。葵ですら、暗い顔色で力なく呟く。
「どうしたって、曲が……トラックがないとライブは出来ない。悔しいな……僕らの頑張りとは関係がないところで、こんな……」
「……トラックがないと……」
思わず、斗真は甘太郎を見た。
――甘太郎なら、作れるんじゃないか?
アイドルとはいえ、HIPHOPユニットならばメンバーにトラックメイカーを備えることはおかしくない。むしろユニットのことを内から理解しているメンバーが、専用のトラックを用意できるなら強みになる。
甘太郎もその視線で、斗真が何を考えているかは気づいたのだろう。だからとっさに目を逸らした。
言えるわけがない。
斗真は胸に浮かんだ言葉をしまい込む。ナイショだと約束もした。
だいいち、デビューに向けて気持ちが盛り上がってきた時期、不意に湧いたアクシデントに、VISTYの面々は失望と焦燥に支配されている。
ここで「甘太郎なら曲が作れる」と言葉にすれば、皆それに縋ってしまう。その肩にどれだけの重責がかかるかは知れない。それは期待ではなく、責任転嫁になる。
だからと言って、現状がドン詰まりなのは事実だ。
無言がその場を支配した。
視線を彷徨わせる。葵はずっと顔をしかめているが、諦めるつもりには見えない。斗真だって同じだ。夢まであと一歩。こんなところで躓いてたまるものか。
考えを巡らせるために動かした視線が、憧吾とぶつかった。
「……」
お互いに言葉は出さなかった。
けれど、顔を見るだけで憧吾の想いが伝わる気がした。表情筋の動きを読むのは得意だった。憧吾の目が、眉が、確かに語っていた。
――何かあるんだな、斗真。
斗真は少し視線を揺らしてから、憧吾の瞳を見つめ返す。
ただ少しだけ、こくりと首を縦に揺らす。二人の間は、もうそれだけで十分だった。
――わかった。諦めるのは、まだ早いんだな。
憧吾が頷きを返す。
最適解は分からない。だが諦めないという意思は、リーダーが示さなければならない。
憧吾は深く息を吸い、大きく吐く。覚悟を決めて、口を開く。
「俺がトラックを作る」
言葉を失った。葵も甘太郎も、その瞬間は斗真でさえも。
数秒の沈黙を挟み、困惑したまま葵が問う。
「作る、って……憧吾、できるの? 作曲とか、編曲とか」
「やったことはない」
「ちょっと、憧吾? ふざけてる場合じゃ……」
「ふざけてなんかない。今から機材やソフトを揃えて、使い方を覚える」
「あのね!」
思わず、甘太郎が食って掛かる。
「そんな簡単に行くわけないじゃん! ビートメイクのビの字もわからないのに! サンプリング用音源集めるのだって楽じゃないし! 理論とか知識だけ学んだって、実際にツールの使い方を覚えるのに、どれだけかかるか……」
「でもやるんだ」
「無理だって!」
「だって、それしか方法はないだろ」
怯まず見つめ返す憧吾の目に、甘太郎がたじろいだ。胸を張る憧吾の手が震えているのは、斗真以外気づいていただろうか。
憧吾は斗真たち一人一人を見回して、声を張る。
「俺は諦めたくない。1パーセントでも可能性があるなら。……今まで俺たちが重ねてきた努力を、こんな事で台無しにされて良いのか? VISTYは俺たちにとって、大人の事情ひとつで潰されるような夢であって良いのか?」
葵が、ぎゅっと下唇を噛む。
「良いわけ……良いわけがない! 僕だって諦めたくないよ。やっと見えてきたんだ、僕の目指す理想のアイドルが……誰かに手を差し伸べる前に、膝を折りたくないよ」
「だったら、馬鹿みたいに思えることでもやる価値があるだろ? 挑戦しないまま諦められるほど、俺たちはまだ何もやってない。……アイドルってキラキラ輝いて、見る人に勇気を与える存在だろ。ならアイドルを目指す俺たちは、簡単に諦めちゃダメだ」
憧吾は己の胸に手を置いて、まっすぐに前を見る。その先には斗真がいる。
「俺は一番星のようなアイドルになりたい。暗い夜がやってきた時、真っ先に標になれるような星に。……だから、輝く前から消えたくないんだ」
――あ、ヤバい。メイクが崩れちゃう。
斗真の頭に浮かんだのは、そんな、どこか場違いな言葉だった。だって、目じりに広がっていく熱さを必死にこらえないと、大粒の涙が流れてしまいそうだった。
次の瞬間には、続く憧吾の言葉に、その涙もたちまち引っ込みそうになったが。
「とりあえず、中古楽器店に行ってくるよ。ドラムを探してこないと」
「……ん? え、しょーちん。話がヘアピンカーブすぎるんだけど何?」
思わず斗真が困惑する。憧吾は真面目そのもので、シュールな空気すらある。
「HIPHOPのトラックにはドラムの音が入ってるだろ。キックとかスネアとか」
「や、そうだけど。そうじゃなくって」
「あと主旋律を作るならピアノ、いやエレクトーンとかあると良いのか? 作曲の本もなるべく予算を抑えて探さないと……」
「あ~~~~、もう!」
とうとう甘太郎が声を上げた。
クセ毛の髪をかしゃかしゃと指でかき混ぜて、涙ぐんだ目をキッと吊り上げる。
「もういい、僕がやる! シロートは座ってて!」
「え、甘太郎?」
「僕だってなりたい……夢の舞台で、一番星になりたいよ! このまま消えたくない! やっとアイドルになれるのに、スタートラインにすら立てないのはもう嫌だ!」
目をぱちぱちさせる憧吾に、ずかずかと甘太郎が詰め寄る。
「だいたいしょーご、ダンスとか技術的なことは頑張ってるけど、流行ネタとかあざといファンサの入れ方とか全然じゃん! 今どんな曲がバズりやすいかも知らないくせに!」
「そ、それはそうだけど」
「それにドラムってなにさ! 芸能事務所なんだから音源ストックとかあるだろうし、説明すればプロデューサーだって協力してくれるでしょ! ちゃんと環境利用しようよ!」
「ああ、うん……って、甘太郎どこに行くんだ?」
「家! 今まで趣味で作ったトラックから使えそうなの、PCごと引っ張ってくるから! しょーごはプロデューサーに音源と機材の都合お願いしといて!」
ばたん、と力強く扉が閉じる。甘太郎の軽い足音が遠ざかっていく。
ぱちぱちと憧吾の目が瞬く。それから、ハッと気づいて動き出す。
「お、音源と機材だな。よし。行ってくる」
遅れて憧吾も駆け出していく。
気づくと、部屋には斗真と葵だけが残った。
「斗真、知ってたでしょ。甘太郎がトラックメイクできるの」
「えー? んー、まあ? そう言えば、聞いてたかも」
「アイドル目指すなら、もっと上手にとぼけないとダメだよ」
葵は肩をすくめて苦笑する。
「でも、僕もこれで良かったと思う。ここはリーダーの憧吾が引っ張るべき場面だった」
「誰が言うかって大事だよね~、やっぱ」
「おかげで甘太郎は自分で動く気になったしね。……さ、二人だけに頑張らせるつもりじゃないだろ。僕らは僕らに出来ることをやろう」
「オッケ。やっぱステージのこと考えるとメイクも凝らないとな~!」
「そういうのじゃないでしょ。甘太郎が作りそうなイメージに合わせて、リリックに使えるフレーズのブレスト始めるよ。絶対に無駄にならないことからやろう」
「葵、頼もしすぎなんだけど……」
「王子様だからね」
ホワイトボードを引っ張ってきて、葵と言葉を捏ねまわす。
しばらくして、憧吾がプロデューサーからの色よい答えを持って帰ってくる。最後に甘太郎がノートパソコンを持ち込んできた。
自作トラックを用いてのデビュープランは、決して順風満帆とは言えなかった。
それでも斗真には、世界が明るく見えていた。そのころのVISTYは歯を食いしばりながらでも、一人一人が前を向き、輝こうとしていた。
可能な限りスケジュールを後ろ倒して、なお限界が迫るギリギリの秋中。
甘太郎の尽力により、VISTYのためだけの旋律がこの世界に産み落とされる。
それから三か月足らずの間に、随分と色々なことがあった。
完成したトラックは結局、ライブの尺や音響に合わせて手直しが必要だったし、進行が遅れた分、ダンスもラップも夜が明けるまで練習する必要があった。
それでも一瞬一瞬が、流れる汗が、ぶつけ合う思いが火花と散って、暗闇に覆われた未来を照らしていった。一つ一つ手探りで小さな星を描いて、闇夜の未来に星座を編んで、夢の情景を象った。他でもない、自分たちの手で。
そして――。
――風の澄む冬の只中に、WWSN当日はやってきた。
「みんな、準備は良いか?」
舞台袖。パステルカラーの衣装に身を包んだ憧吾が、努めて落ち着いた声を出す。
「大丈夫。……というには、やっぱり緊張するね。舞台裏の空気が、こんなに冷たいなんて思わなかった」
タキシードをモチーフにした衣装の袖を握り、葵が応える。
「有名アーティストの出番に新人が挟まるローテだから、空気はあったまってるけど……僕の作った曲、ここでやるんだよね……」
甘太郎の衣装は可愛らしさを強調したハーフパンツのデザイン。声は震えている。
「客席バイブスアガりすぎてて、逆に体ガチガチだわ。見方によっては、プロのアイドルのハンパないパフォーマンスと比べられるわけじゃん……?」
斗真の衣装は淡いイエローを基調にした、メンバーで一番明るいカラーリング。正直言って、ステージの上では一番目立つ。
鏡は楽屋で何度も確かめてきた。前日よく眠れなかった肌はメイクのノリが不安だが、出来る限り整えた。今日は前髪の一本だって気は抜いてない。
「でも、俺たちも今日からプロのアイドルだ」
憧吾の言葉に、全員の視線が集中する。
「俺たちは今日まで、やれることをやってきた。俺たち自身が輝くために、色々なものを磨いてきた。……曲も、ダンスも、リリックも、培ってきたのは全て俺たち自身。今日ここで浴びる歓声は誰のものでもない。俺たちのものだ」
自分の言葉を嚙みしめるように、憧吾が静かに目を閉じ、ゆっくりと開く。
その手がVISTYメンバーの前に突き出される。
「どんな結果になっても、俺たちは今日、自分自身の輝きでここに立つ。その光を皆と分かち合えるのが、何より嬉しい」
「憧吾……」
呟き、微笑み、葵がその手に手を重ねる。
「僕は今日、ここで本当に理想の王子様になる。皆に夢を届けに行こう」
甘太郎も自分の両頬を軽く叩き、重ねた手の上に手を伸ばす。
「先輩アーティストの中で負けずに目立ったらさ、絶対すごいバズるよね、僕ら」
そして――斗真は表情を整えてそこに加わる。
「ここまで来たらアゲて行くしかないか! 頑張って行きまShow Timeってことで!」
「いや、何その言い回し。とーま一周回って変なテンションになってない?」
「斗真はもう仕方ないよ。僕らでなんとかフォローしていこう」
「あ、あれ!? 甘太郎も葵もなんか冷たくない!?」
「斗真は俺たちを和ませてくれてるんだよ。いつも、その明るさで助けられてる」
「いやしょーご、それ分かってて皆言わないやつ」
「えっ、あ、そうなのか」
「憧吾、君のまっすぐさは良いところだけど、言葉にすると斗真がいたたまれないよ」
「そうか……ごめんな斗真。終わったら新作のバターホタテグミを奢るよ」
「いや、なにこの公開処刑! そしてなにそのグミ!」
いつも通りの賑わいが広がる。聴きなれた笑い声が響く。
このメンバーの輪の中が、安心できる場所なんだと実感する。
緊張はある。張り詰めた冬の空気が肺を冷やして、流れる血が冷たくなっていく。
それでもきっと体が動く。いつもの皆と、いつも通り。
「次、VISTYお願いします」
「よし、行こうみんな!」
スタッフの声に、憧吾が動く。その歩みに続いていく。
照明が落ちたステージの上は空になっている。今この瞬間、VISTYのためだけに。
スクリーンがネオンカラーの光を放つ。色取り取りのライトがステージを照らす。
聴きなれたトラックの旋律が、勝手に体を動かしてくれる。
デビューライブが始まる。
不思議な時間だった。煌めきが世界を包んでいく。
時計の針は急かしながらもゆっくりと瞬間を刻む。ステップする、憧吾の誇らしげな背中が見える。憧吾の合図で一斉に、自分たちのために用意されたメタルへと口づける。
心のままに広がる幻影に、客席から黄色い歓声が上がる。
その時、眩いステージの上から斗真は見た。
脊髄にまで沁み込ませたダンスと、魂に刻み付けたリリックを披露しながら。
ライトに照らされるステージとは裏腹に、闇に包まれた客席。
その闇の中で輝く、幾つもの光を。
――あ。
数多の鏡を見ているようだった。観客たちはあの日の斗真と同じ顔をしていた。
闇の中に踊るペンライトが。斗真たちを見つめる瞳の光こそが。
まるで暗闇の空に瞬く、無数の星だった。
――ああ、そうか。星はあっちだ。
斗真は気づいた。きっとVISTYの皆も。
アイドルがあんなにキラキラしているのは、無数の星に照らされていたからだ。
憧れてくれるから、輝きたいと思える。夢を見てくれるから、皆の夢になれる。観客の、ファンの皆が放つ光が、アイドルを眩しい星にする。
星に照らされる星。それがアイドルだ。
気づけば体は弾むように踊った。瞬くネオンの幻影と共に。客席の後ろまで、自分たちを照らしてくれる星の全てへ、このステージが届くように。
煌く時間は過ぎて行く。
音楽が止み、ライトが落ち着く。響く歓声が、冬の風を沸騰させていく。
MCがテンションを上げてVISTYを紹介してくれる。
それから、スポットライトに合わせてメンバー1人1人の名前を読み上げていく。それに続いて各々簡単なアピールをする。
憧吾のあとに、斗真の番が来る。
「鏡よ鏡――一番美しいのは、だれだれだーれ?」
鏡は客席の星たちだ。その瞳に向き合えば、いくらでも理想の自分を映し出せる。
「おれおれおーれっ! TOMAでーすっ!」
自分たちを照らしてくれる、星たちの前なら。
「星(ステラ)の皆っ! 愛してるよ!」
その日、緋景斗真は〝アイドル〟になった。
ともに輝く仲間たちと共に、星座のような情景(VISTY)に。
「……そうか、だから星(ステラ)……」
そして、現在。納得したように、京がその言葉を口の中で転がした。
「僕も……僕もあの星の光を見たからよくわかる。ステラの皆が光をくれて、VISTYは煌めいていた。だからあの場所にいたとき、世界は輝いて見えた」
「眩しいんだよなあ、ステージから見ると」
斗真が笑いながら、星空を見上げる。
京は目を伏せて、足元の影を見た。
「改めて実感したよ。斗真たちが作り上げた輝きが、あの眩しい世界が、どれほどかけがえのない物だったか。そして……僕が裏切った物の大きさも」
「だからさ、それはロクタたちのためじゃん。京には京の事情がさ」
「それは後悔してない。だけど、自分が選んだ道とは向き合いたいんだ。あの場所が楽しかったから……目を背けたくないんだよ」
「京……」
「君たちは自分たちの力で、自分たちの音で夢を勝ち取った。だから素敵だった。だからステラの皆は君たちに魅せられたんだ。僕から見ても、ステージの上で音と光と踊る君たちは眩しい星だった」
京は星に手を伸ばし、掌に包み込むように拳を握る。
その拳を自分の胸に当てて、鼓動に重ねてみる。締め付けられるような苦しさが、京の胸の奥に芽生える。
「ねえ、斗真。君たちから見て……君たちが作り上げた夢の中に、急に紛れ込んできた僕はどう映った?」
「……京はねえ」
忘れもしない。デビューライブを終えた直後、プロデューサーから紹介された新メンバー。
正直、戸惑いが大きかった。最初の結果を噛みしめて、これから四人でやって行こうという所での加入は不安しかなかった。
けれどあの日、VISTYの前に姿を現した京は――。
「京は、太陽だったよ」
「僕が……?」
「うん。最初に京を見たとき一目でわかった。……ああ、全然違う、って」
それは、世界を白ませる絶対的な光。
才能という二文字の意味を、否応なく理解させる力だった。
「『照らされて輝く、惑星みたいな俺たちとは違う、自分で輝く本当の光だ』……って、そう思っちゃったんだよね。そのくらいオーラも、ラップも段違いだったわけ」
「そんなこと――」
「実際、京が入ってからのVISTYは凄かったわけじゃん。俺たちあっという間にスターになってさ」
「……うん、覚えてる。忘れないよ。VISTYはずっと輝いてた」
「でも京が抜けた後は続かなかった。忘れちゃってたんだ。俺たち自身を磨かなくちゃ、曇ったままじゃ、いくら照らされたって輝けなくなること。……だから……」
正直、京には逆恨み混じりに色々言ってやりたい気持ちがあった。だけど今は違う。だって、京もVISTYを大切に思っていたと知ったから。
あのステージから見つめる輝きに、救われていたことを知ったから。
器の大きさは違うかもしれない。けれど器の中身を満たしていたものは、同じだった。
だから斗真は誓う。五人目の仲間の前で、今一度。
「だから、もう忘れないよ。俺たちで作ったVISTYを、これからも磨き続ける」
「……うん」
斗真の瞳が京を見据える。見返す京と視線がぶつかる。
星空の下で、やっぱり京は太陽のように輝いて見える。
眩しいなあ、と目を細めるままに斗真は笑う。
「これからもさ、ステージ降りたらこーやって、ピザパするくらいは良いんじゃね?」
「そうだね。……そうできたら、凄く嬉しいよ」
言葉を噛みしめて、京も目を細める。
シェアハウスの窓から漏れる光を背負う、斗真を見つめる。
不意に、その窓が開いた。
憧吾たちが顔を出す。すこし窮屈そうに窓枠につまっている。
「斗真、京。ずっと外にいるけどどうしたんだ?」
「そーだよとーま! ロクタとイツキがコンビ組むとすっごいゲーム強いんだけど! 早く加勢してよ!」
「ピザもまだ余ってる。勿体ないから食べちゃわないと」
「京、唐揚げはそろそろ全てロクタの胃袋に消えてしまうぞ」
「ち、ちがうよ。京ちゃんお腹いっぱいになっちゃうから、その分食べてるんだよ!」
斗真と京は、目を見合わせてぱちぱちと瞬きする。
それから、斗真は悪戯っぽく笑って――。
「悪い、京を独り占めして! 実は京がキラキラメイクのやりかた教えて欲しいってさ」
「えっ」
言ってないけど? みたいな顔で京が固まる。
何かリアクションが来る前に、斗真が玄関に向かって京の背中を押す。
「アイドルやってたのが楽しかったなら、1Nm8ももっとキラキラしてもよくね? 睫毛バチクソ盛れるマスカラ買ったから京で試すわ」
やりとりを見て、憧吾が頷く。
「なるほど。対等なライバルになるなら、俺たちも全力の京と競わないとな。手伝うよ」
葵が斗真の意図を察して笑う。
「斗真に任せるとチャラい感じになりすぎるからね。僕がもっとスマートに整えるよ。京、レザージャケットや指ぬきグローブに興味は? 君には似合うと思うんだ」
甘太郎が割って入る。
「京をどうしようとしてるのさ! あとメイク盛れたらまず自撮り! アプリでさらに盛ってアップでしょ! ……仕方ないからアプリの使い方は僕が教えてあげる」
「いや、僕はSNSは」
だんだん混乱してきた京にロクタから追撃が入る。
「そうだよ。京ちゃんスマホいっつも家に忘れるもん。イツキ兄も全然見ないけど」
「SNSはともかく、家の鍵まで忘れて行くのはどうかと思う。今もなかなか帰って来ないから道に迷ったかと懸念していたところだ」
ロクタとイツキの話を聞き、VISTYの面々が目を丸くする。
憧吾がやや眉を顰める。斗真が後に続く。
「京、まだ手ぶらグセが治ってないのか? ライブツアーの時にホテルのカードキーを部屋に閉じ込めて、さすがに懲りたって言ってたよな?」
「いやいやいや、これちょっと会議必要くね? VISTY×1Nm8緊急ミーティング」
「京……あれほど出かける前には指さし確認をしようって言ったよね」
「スマホ忘れて生きていけるとか、僕まだ信じられないんだけど。古代の人なの?」
「京ちゃん、曲が降りてきてる時は他全部忘れちゃうからね~……」
「いい機会だ京。かつての仲間の知恵を借りて抜本的に対策しよう」
困り眉で笑う京が、シェアハウスの中に運び込まれて行く。
「……なんだか、今日は僕が末っ子になったみたいだ」
その言葉に、斗真たちは思わず噴き出した。
夜は賑やかに更けてゆく。シェアハウスに戻る前に、斗真は夜空を振り返る。
この夜の情景にたどり着くまで、本当に色々なことがあった。美しく飾れるだけじゃない、滑稽で歪な道程も。
星に憧れて、走り出しては空回って。見栄を張って、強がって、時には不安で泣きたくて。嘘で塗り固めて、光に目が眩んで、一度は全て途切れさせて。綺麗な星座というには、ぐちゃぐちゃに拗れ絡まった道筋。
それでも、解いてみたら繋がってた。歪だけど、ちゃんと意味があった。
だから、これからもきっと同じように進んでいく。
太陽のようには輝けなくても、暗闇の空に色を継ぎ足して。
時にはまた絡まって、立ち止まって、解いて、紡いでゆく。そうすればこんな風に、太陽と同じ空で笑いあえる夜も来る。
「さ~、夜は長いぜ! ここからもアゲて行きまShow time!」
星座の情景は、影すらも照らして広がっていく。
深さを増す今夜の空にも、星はいくつも煌めいている。